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2024年04月 アーカイブ

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17話

今日17話です。
「 忘れじの ゆく末までは 難ければ
    今日を限りの 命ともがな 」
今日のハイライト、道隆の嫡妻、貴子の歌です。
まだ父・兼家が兄弟と苛烈な権力闘争を繰り広げていた時代に育った道隆は、内裏で女房として働いていた貴子を見そめ、身分を越えて嫡妻とします。
道隆は端正な貴公子で、ユーモアもあり、芸術的にも秀でたセンスを持っていたそうです。モテモテだったであろう道隆が、この歌で嫡妻は貴子と決めたと想像しました。
歌の意味は「いつまでも忘れないとあなたは言うけれど、その気持ちが将来までも変わらないとは思えない。だから、その言葉を聞いた今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに」
とてもステキな歌ですね。貴子の才を感じます。
道隆亡き後の貴子の人生は苛酷ですが、この頃が絶頂期だったと思われます。
見てネ。

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16話、放送後

女房づとめも板につき、自信の出て来たウイカ清少納言が絶好調。
香炉峰の雪の所でかかる冬野さんの音楽もワクワク感を盛り上げてくれました。
音楽入れるタイミングも絶妙。定子サロン登華殿のアングルもとてもステキで、部屋の構造と奥行きを感じさせてくれました。
道兼は、次第にかわいそうだと視聴者の方に思って見ていただけるようにと、考え抜いてああなりました。今日も内裏の廊下で道長とすれ違う時の、静かな横顔が印象的でした。

このドラマはラブストーリだけではないのですが、まひろと道長がずっと会わないと何となく物足りなく・・・今日は無理矢理接近させました。意識のないまひろに向かって「逝くな、帰って来い」というセリフを書いた時、これは柄本さんが痺れる芝居するだろう、と予感しました。オオイシ的にはキスシーン以上に胸アツでした。
それと、道綱がいい女を抱きそこなったと道長に言う所、ドキっとしてホッとする道長の表情が、この回一番の面白ろポイントでした。
吉高さんのまひろの、感受性高過ぎ、こころざし高過ぎ、貧し過ぎ、ゆえにいつも憂鬱な感じが、私の思う生れ出たことの哀しさに苛まれ続ける紫式部ピッタリで、いとおしかったです。

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16話

今日16話です。
大河初演出の33歳、原監督の演出が素晴らしく、大好きな回になりました。
才能のある人は最初からあるのだということが、原監督を見ているとわかります。
人は経験や勉強である程度までは成長できますが、この人はそういうことを超えたセンスの持ち主です。
将来NHKを代表する監督になるでしょう。
隆家の竜星涼さん、登場します。今までこのドラマに出て来ていない独特のキャラですので、お楽しみに。
まひろ、道長のシーンも・・・ウッとなります。
ネタバレなので放送後にあれこれ書きます。執筆で余裕なければ後日・・・。

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15話感想

今日好きだった所の第一は、ききょうが清少納言と名付けられる所です。
中島チーフ監督がウイカさんに、「頭を上げて中宮定子を見た途端、きれ~って顔して」とリハーサルで芝居をつけていたのが印象的でした。漠然と緊張しているという芝居ではダメなんですね。演出家はこうやって役者を導くのだという一例ですが、なるほどと思いました。
道長と道綱のシーン、道長と道兼のシーン、道長と道隆のシーン、兄弟シーンはどこも好きです。このドラマでは藤原家兄弟姉妹の芝居のイキが実によくあっていて、今夜の回も絶妙でした。
道隆と道兼がこれから相次いで死んでゆきますが、初回から一緒にやって来たので、死ぬところを書くのは、兼家の時のように寂しかったです。
石山寺のラスト、寧子の「書くことで己の悲しみを救ったのです」という言葉を思い出す所のまひろの表情、かかる音楽もステキでした。よい演出とよい芝居で、台本の何倍も膨らみました。

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15話です。

あ、もう0時過ぎてしまいました。
私は深夜に仕事するので、これから佳境なんですが。ってどうでもいいことですが、今日15話です。
ついに一条天皇の本役(塩野瑛久)が登場します。これまで3人の子役一条が登場しましたが、どの子も名優で忘れがたいです。
一条を誰にするかは、このドラマの重要なポイントで、監督陣が何カ月にも渡るオーディションを重ねて選んだのが塩野クンです。
最初は震えるような緊張感だったようですが、若き帝の初々しさと相まってかわいらしいですし、今撮っている30話前後になると押し出しも強くなり、道長VS一条のシーンも迫力あります。一条の苦悩を彫り深く演じて見せています。
この前、父に切り捨てられた道兼のその後も、意外な展開をします。
清少納言も十二単で内裏に上がり、定子サロンの女房となります。「枕草子」を書き出すのはまだ先ですが。
ちなみに、このドラマは衣装がかさばって重くて役者達は大変なんですが、帝だけは楽ちんなのです。偉い人ほど、あれこれ重ね着せず、楽な服装だったそうで。十二単も偉くはない女房の正装ですから。

それ以外はもうネタバレしないで何も書けないので、終わってから私の想いを書きますね。

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14話と15話

14話をご覧下さった皆様、ありがとうございました。
さよなら兼家で、私的には胸いっぱいなんですけども、なぜか明子が兼家を呪詛する呪文「天にどろ 地にどろ」が最近頭に入り込んでしまい、つい口づさんでしまうのです。何てこと、と思ってすぐやめるんですけど、何か恐ろしいです。勝手に頭に入り込んで来る呪文・・・。別に呪詛したい人なんかいないんですけども。
お塩の風呂に入ったり、お線香立てたりしながら書いてます(笑)

13話のラスト、先のことを考えず、まひろと道長を会わせてしまいました。14話でどうするかというビジョンもなく、ここで会うしかない! と思って。台本はそのように勢いで書いちゃう時もあるのです。
ですが結局、そのまますれ違って終わってしまいました。なので台本はどうということもないのですが、家司が「先の蔵人、藤原朝臣為時の娘にございます」と道長の耳元で言うと、道長が「ん」と小さく不思議な音を発して、すれ違って行くのです。台本は「・・・・」だけで「ん」はありません。ですがその「ん」がたまらなく切なくやりれないのです。まひろはそれを合図に見つめ合うのをやめ、身分の高い道長に道を譲ります。「ん」のお陰で、予想以上に切ないシーンになりました。

それと14話で清少納言がまひろに言いたい放題のことを言う所が好きです。この先も、ききょうはしばしばまひろの家に来て、道長の悪口などさんざん言います。
この時代、女が意志を持ち、世を批判し、自己実現のために生きたいと願うことは稀であったと思うので、やはり紫式部と清少納言は相当な変わり者だったのだと、書いてて思いました。清少納言の言いたい放題シーン、好きですね。

15話には予告にもありましたが、「大鏡」にある道長と伊周の弓比べのシーンがあります。「大鏡」に書いてあることが本当のことばかりとも言い切れないらしいのですが、このシーンは知る人ぞ知る歴史的場面です。
「蜻蛉日記」の作者(劇中では寧子、財前直美)が、蜻蛉日記の中の兼家の和歌についてまひろとさわに話す内容は、私も知らなかったことです。和歌考証の高野晴代先生に教わって、へえ~と驚き、台本に先生のお考えを入れました。寧子のシーンにご注目下さい。あれこれ教わりながらやってます。

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13話と14話

13話ご覧下さった皆様、ありがとうございました。
13話から高畑充希さん、登場しました。
あんなうつくしい声で「お上ぃ~」と言われたら、少年一条はコロっといってしまうよな、と思いながら見ていました。台本以上の仕上がりになっていました。
定子は可憐なだけでなく、これからいろいろな顔を見せて行きます。定子の思惑が見抜けてしまう詮子は、だからイライラするのでしょう。
13話の吉田羊さんも素晴らしい芝居でした。

14話では、もう予告でやってますけど、兼家退場です。
去年のことですが、兼家が死ぬシーンを書いたらガクッと来てしまい、一瞬、モチベーション落ちました(笑)
ずっと段田さんの芝居は素晴らしかったですけど、最期も胸に迫ります。
黛監督の演出も素晴らしいです。
ぜひ見てネ。

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