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2006年10月 アーカイブ

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硫黄島(イオウジマ)

必修科目の話の続き。
歴史教育が必要だと前回書いたが、中学生や高校生の修学旅行を「硫黄島」にしたらいいと思った。何と硫黄島は東京都なんだそうだ。まずは東京都の中高生に行ってもらいたい。
なぜなら、不謹慎と言われるかも知れないが、日本人にとって、太平洋戦争とはどういうものだったかを、身に沁みて感じるのが、何よりの歴史教育だと思うからである。
クリントイーストウッドが硫黄島決戦を日米双方から見た二本の映画を撮り、先頃、一本目の『父親たちの星条旗』を試写会で見た。
『ミリオンダラー・ベイビー』よりずっと面白かった。これから見る方のために多くは語らないけれど・・・。
あの映画を見て、政治家は靖国神社よりも、未だ回収されない遺骨がごろごろしている硫黄島へ、手を合わせにいった方が、ずっと意味があるとも思った。
毎年、あちこちの激戦地に行って慰霊するなら、誰も異議を唱えないだろう。戦前の全体主義的思想を色濃く残し、宗教色もある靖国神社に行くより、ずっと説得力があり、他国も文句は言わないだろう。
今は自衛隊の飛行場があるだけで、一般人の立ち入りは制限されていてるそうだが、ぜひとも生きた歴史の勉強を硫黄島で行って欲しい。
灼熱の壕の中で焼き殺されたり、自決して果てた日本兵の絶望の一端でも感じられたら、中高生は、イヤでも考えると思う。
何を考えるかって?
そりゃあ、「愛国心」なんてものは、お上に押しつけられるものではないと言うことをだ。平和のための軍隊なんて存在しないということをだ。

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文部科学省の欺瞞+マスコミの不可解

多くの公立高校で、履修単位漏れ(多くは世界史)で、生徒が卒業できそうにない、という事件がおきている。
しかし聞けば、こんなことは地方紙では、以前から報道されているのだそうだ。
と言うことは、多くの高校で、しかもかなり前から、こういうことが行われており、そのことは文部科学省もマスコミも関係者(学校、生徒、親)も知っていたということだ。
そう思うと、鬼の首を取ったように騒わぎ出したマスコミもいい加減なものだと思う。
生徒が卒業できないなんてこともなくて、今までも黙認というか、非合法処理(?)で卒業させていたのだろうし、今回も抜け穴があることを承知してやっているとしか思えない。生徒にしてみれば当然だと思うし、自校の進学率を上げたいのか、生徒を希望大学に一人でも多く入れてやりたいのか、どちらにせよ高校側にとっても当然のことだと思う。
いい大学へ進むことが、ますます厳しくなって来た競争社会の中で、みんな必死になってあの手この手を考えているのだ。
それを、こういうことが行われていることを見て見ぬふりをしてきた人々が、建前を振りかざして、突然、批判を始めたのはどうしたことか?
安倍総理の「学校側はもっと緊張感を持ってほしい」というコメントも、思いっきりヌルい。高校側はまさに「緊張感を持って」こういう綱渡りのような選択肢をやっているに違いない。
生徒は、こういうことで「世の中には裏も表も、抜け道もあるんだなあ」と学ぶだろう。(今、そういうことを知る必要があるかどうかはともかく、学ぶことは確実に学ぶだろう)
「まじめに必修を取った子がかわいそうで不公平だ」という意見もあるだろうが、世の中にはズルがあるものだと学ぶことは無駄ではないし、それでも自分は自分なんだからズルなんかしないぞ、という子も、逆に育つだろう。
大河ドラマを書いて思ったのは、小中高の歴史教育を、もっと充実させた方がいいということだ。その歴史を軽視している文部科学省こそが諸悪の根源ではないのか。
それこそ、歴史を受験の大事な科目にすれば、みんな勉強するんだろう。歴史を学べば、物事は一面から見ただけではわからないのだということが理解できるし、頭を使って物事を考えるようになるだろう。
それにしても、マスコミはなぜ急に騒ぎ出したんだろうか。とても不思議。目に余る事態になって来たということなんだろうか?
或いは、どこかの政治家のバカ息子が、いい大学に入れそうもなくて、父親に「パパ、みんな、こんなズルしてるんだぜ」と垂れ込んだとか・・・? 
脚本家なもので、ついこういう想像をしてしまうのだけれど・・・。

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書く女

永井愛さんの二兎社公演『書く女』を世田谷パブリックシアターで観劇。『書く女』は樋口一葉を主人公にした作品だが、暗い薄幸の女性だと思っていた一葉が、実にイキイキと力強く生きたことがわかって、
目から鱗が落ちた。短い生涯だからと言って、気の毒だとは限らない。短期間に成熟した作品を生み出し、明治という時代に文学を志す青年達に囲まれ、女としてもかなりスリリングな時間を凝縮して過ごしている。男優陣がイマイチ色気に欠けるように感じたが、一葉役の寺島しのぶはいい女優だと思った。

終演後、ステージの上で、愛ちゃんとのトークショーに出演。一応私も“書く女”なので。
昨日まで大河関連イベントで東京を留守にしていたので、今日はぶっつけ本番だったが、長年の相棒だった愛ちゃんとだと、何とかなるものだ。
本番中も楽しかったし、こういう仕事ばっかりだったらいいのになあ。
帰りに久しぶりに愛ちゃんと飲む。酔っ払った・・・。

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勝負のセリフ

「美しい国、日本」というキャッチはずいぶん空疎でずれてるなあ、と思うのは、私だけではないと思う。
新首相は所信表明演説の中で、得々としてこのキャッチフレーズを8回も口に出し、今朝もたまたまテレビで代表質問の答弁を見たら、何かにつけて、「私の言う美しい国とは」と言っていた。
空疎なだけでなく、何となく子供っぽい。勝負のせりふというのは、ここぞという時にだけ使うものだと思うのは、私が脚本家だからだろうか。
私が尊敬する日本のシェークスピア、菊田一夫先生は「一番訴えたいことは3回書け」と仰せになったそうだ。それも同じことを繰り返すのではなく、形を変えて3回である。
同じことを何度も繰り返したら、相手がどう思うだろうか? 飽きられないだろうか? 安売りにならないだろうか? と、あれこれ考えてこそ、オトナというものだろう。
欲しいものを何度も言ってゴネ続けていれば、親が買ってくれると思ている子供のようで情けない。
私達もの書きが、あのような原稿を書いたら、編集者にも、プロデューサーにも突き返されるだろう。
官僚が書いたのか、首相のスタッフが書いたのかわからないが、一国の総理が、あんな空疎な演説原稿を得々として読んでいるのは、心底寂しいと思った。

返す刀で民主党の小沢党首だけれど・・・。
自民党を離党してからの小沢さんを、私はずっと支持して来た。小沢さんのいる党に投票して来た。
しかし、このタイミングでの入院はどうだろう。代表質問に出て来られないのは、相当悪いと思われる。
民主党というのはタコ部屋のようなもので、自民党より結束がない政党だから、体力気力がなければ、率いることは難しいに違いない。このタイミングで倒れる小沢さんは、結局ここまでだったのかな、とも思ってしまう。
“豪腕”と言われ続けた人だけれど、 “豪腕”と言うなら、自民党をぶっ壊すと言った前総理の方が、恐ろしいほど“豪腕”だったような気がする。

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