あじさいのころ
脚本家になって数年目に書いたOLドラマのプロデユーサーは、私より10歳くらい年上の女性だった。
単発ドラマだったので、仕事もさっさと終わってしまい、プロデューサーと特に仲良くなった訳でもなかったが、台本が決定稿になった直後、そのプロデューサーは女子医大に入院し、胃の手術をした。
胃潰瘍と聞いていたが、ガンだと私は直感した。
それから数年後、私が向田邦子賞をもらった時、そのプロデューサーからお祝いにあじさいの鉢植えが届いた。
お祝いの花は、華やかなバラや蘭や盛り花が多いので、あじさいの鉢植えというのは、逆に印象的だった。
切花は、花が枯れれば捨ててしまうが、鉢植えは花が終わっても捨てきれず、私はそのあじさいを庭に植えかえた。
それからしばらくして、そのプロデューサーが、がんで亡くなったと聞いた。
親しくしていた訳でもないので深い感慨もなかったが、思えば今の私より若くして逝ってしまったことになる。
庭にうつしたあじさいは、それから何年も花が咲かなかったが、毎日夫が水をやり、話しかけていたら、ある年、一輪だけ咲き、その翌年からは大輪の花をいくつもつけるようになった。
庭のあったあの家も、その後、弟の借金のために売ってしまい、あじさいもそのまま人手に渡ってしまったが、今はどうなっているだろう。
梅雨のころになると思いだす。あのあじさいはどうしているかな?
そしてプロデューサーの冥福を祈る。
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