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2009年06月 アーカイブ

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あの世とこの世

今日、日本テレビで打ち合わせをしている時、手帳を開いて、明日が父の命日だったと気づく。
親不孝な娘だ。
明日はお昼前から仕事なので、早朝に墓参りに行こうと思い、雨の中、近所の花屋に花を買いに行く。
父が死んでもう24年。
そういえば、父の遺体を病院から家に連れて帰った時も大雨だったっけ。
死んだ人は当然のことながら、生きている者からは遠くなってゆく。
あの世とこの世の距離を、しみじみ感じた。
私には子供もいないし、死んだらとっとと忘れられてしまうだろうな。
別に覚えておいて欲しいという訳でもないけれど・・・。
湿気た天気に湿気た話しで、すみません。

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連ドラ「ママは昔パパだった」

「パンドラ」「プリズナー」などで話題のWOWOW連続ドラマW。
その第4弾として「ママは昔パパだった」の脚本を書いた。
放送は、8月23日(日)より毎週日曜22時より連続6回
題名からもおわかりのように、心と体の性が一致せず、性別適合手術をして女性の体になった人が主人公。
かつて男性として女性と結婚し、父として作った子供を、今は母として育てている。
その母を、戸田恵子さんが熱演。彼女の持つ清潔感と透明感と演技力が、この特殊なドラマを見事に支えてくれたと思う。
主人公の元妻には余貴美子さん。
普段、地上波では見られないキャステイングで、素晴らしい競演になっている。

去年から、このオリジナルドラマを書くにあたって、性同一性障害のことを取材して来たが、それはそれは驚くことばかり。
2004年7月に性同一性障害特例法が施行され、20歳以上で性同一性障害と診断され、性別適合手術を受けていれば、戸籍の性別を変更できることになった。
しかし、その法律では、結婚している人、子供がいる人の性別変更は認めていない。
女同士、男同士の夫婦を認めてしまうのも妙だが、このドラマの主人公のように、父の時代に作った子を母として育てており、子供も「ママ」と呼んで暮らし、更に見た目の完全な女性なのに、戸籍上は「男性」で、子供達の「父」である。というよじれたことになって苦労している人もいる。
去年、上記の法律は改正され、子供が20歳になれば、性別を変更できるようになった。
父として(或いは母として)作った子供に対しては、子供が成人するまで父として(母として)責任を持つという法律の考え方に、私は共鳴できるが、小さな子供を育てる当事者達の苦労は、それはそれは重いのだということも、取材を通して知った。
こういう問題を取り扱う以上、上辺だけのドラマになってはいけないと思い、セックスの問題にも踏み込んで描いたつもりである。
ぜひ、ご覧下さい。

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あじさいのころ

脚本家になって数年目に書いたOLドラマのプロデユーサーは、私より10歳くらい年上の女性だった。
単発ドラマだったので、仕事もさっさと終わってしまい、プロデューサーと特に仲良くなった訳でもなかったが、台本が決定稿になった直後、そのプロデューサーは女子医大に入院し、胃の手術をした。
胃潰瘍と聞いていたが、ガンだと私は直感した。
それから数年後、私が向田邦子賞をもらった時、そのプロデューサーからお祝いにあじさいの鉢植えが届いた。
お祝いの花は、華やかなバラや蘭や盛り花が多いので、あじさいの鉢植えというのは、逆に印象的だった。
切花は、花が枯れれば捨ててしまうが、鉢植えは花が終わっても捨てきれず、私はそのあじさいを庭に植えかえた。
それからしばらくして、そのプロデューサーが、がんで亡くなったと聞いた。
親しくしていた訳でもないので深い感慨もなかったが、思えば今の私より若くして逝ってしまったことになる。
庭にうつしたあじさいは、それから何年も花が咲かなかったが、毎日夫が水をやり、話しかけていたら、ある年、一輪だけ咲き、その翌年からは大輪の花をいくつもつけるようになった。
庭のあったあの家も、その後、弟の借金のために売ってしまい、あじさいもそのまま人手に渡ってしまったが、今はどうなっているだろう。
梅雨のころになると思いだす。あのあじさいはどうしているかな? 
そしてプロデューサーの冥福を祈る。

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