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相手はD

8月30日の朝日新聞朝刊に『恋し結ばれる相手は「D」』と言う記事があった。
現実の恋愛が不得手な若い世代向けに向けてのAIやVRのサービスを取り上げた記事だったが、これを読んで、こういうのは高齢者にこそ必要だ、と思った。
人生100年なんていう時代になると、高齢者の心身の充実も重大な問題なのに、置き去りにされている。
私くらいの年齢になって、老人が増えて困る困ると言われると、身の置き所がない気分だ。生きててすみません、と言う気持ちになる。「じゃあ、この日に死にたいと言ったら、苦しまずに死ねるようにしてよ」とも言いたくなるが、そんな医療は、この先もあり得ないだろう。そう思うと、生きていることは本当に切ない。
私には今のところ、まだ脚本を書く仕事があり、ラブストーリーも書くが、現実の恋愛となると簡単ではない。
しかし、この先二度と心身の高揚を感じることなく、何十年も生きるのかと思うと、かなり絶望的な気分になる。
枯れることを美徳とするこの国で生きていると、なおさらこういうことは言いにくいが、高齢者こそ、VRやAIで恋をすることが必要なんじゃないだろうか。
好みの風貌の相手と、出会いの物語も与えてくれて、セックスの段になれば、アナログだがシリコン製のリアルな感触も手に入り(高精細な画像があれば、シリコン製でも脳は人と認識するんだそうだ!)、年若い相手と堂々と仲良く出来、こちらの意に反してフラれることもない。死別したパートナーと恋愛を続けることも可能なのだ。
これは高齢者の精神の安定には持って来いだろう。
AIによる介護ばかりが取り上げられるが、長く生きちゃったけど、まだ元気な高齢者にこそ、デジタルでも恋の相手が必要だと思った。
玉川大学の岡本裕一朗名誉教授の「そもそも恋愛において、人間が求めているのは、性愛も含めた陶酔感や精神的安定に過ぎない。人間同士である必要は本来ない」というコメントに、なるほど・・と思った自分がいて、それはそれでやや驚いた。

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