白川郷
岐阜県の白川村に合掌造りの集落を見に行った。
その日は日本の内陸部は豪雪にみまわれ、岐阜羽島の駅から白川村まで、普通なら車で2時間くらいだそうだが、吹雪の中を4時間くらいかかり、遭難しそうな気分で到着した。
冬には何日間かだけ、ライトアップが行われ、この日も世界中から世界遺産の白川村を見に、大勢の人が訪れていたが、私が到着したのは、ライトアップが終わってしまってからで、大勢の観光客はもういなかった。
村は月明かりに似たライトがあるだけになっていたが、人が誰もいないので、それはそれはすばらしい風情。
今でも合掌造りの家には人が住んでいるので、生活の明かりもほんのりもれていて、現代に生きているとは思えない感覚におちいった。
小高い丘の上から集落を見下ろす展望台からの眺めは、雪の中にずっとずっと立っていても飽きないくらい美しい。
ライトアップしている時間帯は、展望台に人がひしめきあっているそうだが、時間が遅れたせいで、私だけで景色を堪能。
世界でも、富山の一部とこの村にしかない合掌造りの技術の見事さと、姿の美しさはさすが世界遺産である。200年経っていても、びくともしない建築も日本人の知恵の深さを思わせる。
今でも行くのが大変な雪深い村で、昔はその村から一歩も出ることなく、一生を送るのが当たり前だった人々の暮らしが、何となく実感できる気がした。
この村は米作もするが、合掌造りの家の階下では人が暮らし、二階三階は養蚕を行っていたらしい。
しかし、今では安い海外のシルクに負けて、日本の養蚕は滅んでしまった。日本のシルクは質もよく、
すばらしい伝統があったのに、もったいないことだ。
高くてもお米や養蚕などは、守っていく方がいいと、私はいつも思っているが、今回もその思いを深くした。
白川村の人口は1900人。でも、人口は減っていないそうだ。少子化の時代に、白川村では子供も生まれている。
郷に誇りを持ち、外の大学や高校に出た若者が、白川村に戻って来るからだという。
村長さんの話は、日本の山村はみなすたれて行くが、祭りが盛んな村は生きて残れる。祭りに元気がなくなったら、その村は危ない。白川村の祭りは、年々盛んになってくるから、うちの村は大丈夫だ。と語った。
明善寺というお寺であったおばあさんが「もう何十年も美濃には行っておらん」と言ったのが印象的だった。
「美濃」と言われて最初はピンと来なかったが、戦国時代に斉藤道三が平定した美濃の国のことだ。
金華山に立つ岐阜城のあたりのことだと思い、驚いた。
今でも岐阜市の方面のことを「美濃」というおばあさんも、この村には生きていた。
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