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2006年03月 アーカイブ

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山口プロデューサー

フジテレビを退社し、“ヒント”という映画の企画会社を立ち上げた山口プロデューサーの事務所を尋ねた。
恵比寿の新しいオフィスの床には、企画のヒントとなる資料や本が、足の踏み場もないほどズラッと並んでいる。本棚ではなく、床に並べている所が、山口さんらしい。
それらを見下ろしながら、あふれ出る企画の話をする山口さんは、やっぱり普通じゃない。芸術家なんだな~この人はと、改めて感じる。フジテレビにいた時も、会社員としては規格外だったもの。
ここに企画の話を書けないのが残念。面白い企画の話を沢山聞いて、ワクワクしながら家に戻った。

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久世さんの死

テレビ創生期にTBSに入社し、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」など、先鋭的なホームドラマを創った伝説的ディレクター、久世光彦さんが、2日の朝、亡くなった。
もうさんざんテレビでも新聞でも報道されているし、私も共同通信から頼まれて追悼文を書いたし、婦人公論にも久世さんのことを書いたので、ここでは繰り返さないが、6日のお通夜に私も行った。
気難しい方だったし、テレビの仕事ではいい思い出はないけれど、私は久世さんのお書きになる文章は大好きだった。小説の世界での方が、作家と読者として親しく語り合ったような気がする。
私は久世さんの小説の中では「陛下」という作品が一番好きなのだが、その他のものも、ほとんど読んでいる。小説の話をする時だけ、久世さんはやさしい笑顔を見せた。「お前さんは、俺の小説のいいお客さんだ」と言って、よくご著書も送って下さった。
「女神」という小説の中には、“静さん”という亡霊が出て来る。別に私を意識されてのこととは思わないが、ちょっとうれしかった。
スタイリッシュな方だったので、最期も病気で寝込むこともなく、スパッと逝ったという感じ。いかにも久世さんらしいと思った。
ここ10年くらいずっとこだわって創ってこられた8月の終戦記念ドラマも、お正月の向田邦子シリーズも、もう見られないと思うと残念だ。もうああいうドラマを創る人はいなくなってしまったもの。さらに、あのような美しい文章を書く人は、もう出て来ないだろう。“美文”とは、こういうものだということを、久世さんは教えてくれた。
心よりご冥福を祈りたい。

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マコト七七日法要

1月18日に死んだ、猫のマコト(享年16歳)の七七日(四十九日)法要をし、お骨を動物霊園の土に還しました。
本当に気のいい、かわいい子でした。
リビングの木の椅子二、マコトが爪をといだ跡があるんですが、それを見ると、今も胸にこみ上げるものがあります。
なぜか子猫の頃から、ゆでたブロッコリーが好きだったので、今日もブロッコリーをゆでながら、マコトが足元のあたりにいるような気がしてなりませんでした。

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