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作詞家の気持ち、脚本家の気持ち

川内康範先生が『おふくろさん』という歌の著作権の侵害を訴えられている。
何人もの法律家が、「著作権侵害にあたるかどうか微妙なところだ」とコメントしているけれど、私は作詞家、川内先生のお気持ちがよくわかる。
私が書いた脚本も、誰かによって演じられ、誰かによって演出されて世に出る訳で、誰かに曲をつけられ(近頃は曲先行の場合が多いらしいが)、誰かに歌われて、その作品が世に出る作詞家と立場は似ている。
あの曲がイントロの後、シンプルに「おふくろさんよ、おふくろさん」と歌い出すのと違って、その前に、自死した自分の母への想いを歌手が語ると、作品のニュアンスはまったく違うものになってしまうからだ。
役者もしばしばセリフを勝手に言い変えるが、今回の歌の前のセリフは、そんなレベルの問題ではないほど、大きな改変だと私は感じている。
川内先生と森進一さんとの間は、深い師弟関係があったとも聞くが、華やかな立場の人達は、しばしば昔の恩義を忘れるものだ。無名の頃、私が見い出した役者も、有名になれば、そんなことはまず忘れてしまう。もちろん誰が応援しようと、その役者や歌手自信に才能がなければ生き残れないし羽ばたけない。そういう意味で世に出た者は、皆選ばれし人達だ。私がスタッフの反対を押し切って推薦しなくても、いずれ世に出たであろう。そう思って、不義理な役者のことは許そうと、いつも自分に言い聞かせている。私もどこかで、そういう不義理をしていないとも言えないし・・・。
今回、森進一さんが、テレビで「『おふくろさん』は、もはや森進一の『おふくろさん』になっていますし・・・」というようなニュアンスのことを言っているのを先日聞いて、それは違うと思った。作詞する人がいて、作曲をする人がいて、編曲する人がいて、歌手ははじめて歌う曲を手にすることを忘れてはならない。
10年も前から何度もかわいがっていた歌手に、自作をいいよういにいじられて来た川内先生のお怒りはいかばかりであろうか。
「いいじゃないか、イントロくらい好きにやらせてやれば」とお思いの方に、ゼロから作品を立ち上げた作者の思いを知っていただけたらと思って、今回、この稿を書いて見た。

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